深淵

何かを手に入れるまでの過程を楽しめる人は幸せだ。自分の身の回りで起こる出来事に心が左右されないから。

逆に何かを手に入れられるか不安な人で、物事の経過を楽しめないのは、不幸だろう。一つ一つの出来事に心が揺さぶれ、自分が間違っているか間違っていないか、立ち止まって考えないといけないから。

自分は本当に必要なモノを手に入れられるか。手に入らないのではないか。どんなに何か行動してみても、本当に手に入れたいなにかには辿り着けないのではないか。

誰一人として自分を理解してくれる人はいないのではないか。不安になる。

だから、また行動しようと自分を奮い立たせ行動する。しかしその行いが本当に正しいか正しくないかで考えると、正しいとは言い切る自信はなかった。

どうすれば自分は救われるのか。

何をすれば正しい方向に進めるのか。

分からない。

誰かに救いを求めるのは間違いなのだろうか。誰も信じない方が人は幸せになれるのだろうか。

他人に期待しなければ、自分が傷つくことはない。だって裏切られても仕方ないと思えるから。信じていないから。

他人に救いを求めるとは、他人を信じることだ。他人に救いを求めれば、裏切られた時に傷つくのは自分だけだ。

人は一人で生きていくしかないんだろうか。

傷つきたくないなら、他人と関わらないほうが幸せなのだろうか。

誰にも助けてもらえない。そんなふうに思う。

もし、誰かに助けてと言えたら未来は変わるのだろうか。絶望しなくて済むのだろうか。

簡単な言葉。だけど人に迷惑は掛けたくなかった。助けてと叫べば、相手を困らせるだろう。

それに助けてもらえなければ自分が傷つくだけだ。

人は何かを諦めれば楽になれる。

人生は諦めをしっかり用意することだと言う言葉がある。諦めずに進んだからといって、必ず救われる物語がそこにある訳ではない。

自分を助けるのは自分だけなのかもしれない。

助かりたいなら、潔く諦めて忘れることかもしれない。

何も無くても自分の足で立って歩ける力。

誰かを信じて進む明日。

そんな偶像は捨て去らなければいけないのかもしれない。

一人は怖かった。だけど、その思いが自分を苦しめているだけなのかもしれない。

他人に出会わなければ、信じなければ、きっと苦しまない。だけど人間として生まれたなら…誰かと生きる道も欲しかったかな。

この孤独を感じる道にまだ見ぬ誰かとの出会いを信じて進んでみるか、もう一人で生きる選択をするか。

物語はどちらを選んでも進んでいく。

震える足で、傷つきながらも、それでも誰かと関わることを続ける。

人は他人を幸せにするために産まれてきたんだから。

自分の人生は自分だけのためではない。

進んだ先に、必ず自分を必要としてくれる誰かがいるはずだと思っている。

私が誰かを必要としているように。

世界はそうやってつくられていると信じている。