[これは誰の人生(ストーリー)
どうやって始まった世界
ここまで生き延びた、命で答えて---]
この一説は、私が好きな曲の一部である。
今日は、自分の人生の在り方について語ろうと思う。
自分の人生を台無しにするのは、いつも自分自身の考え方だと思う。
自分を苦しめているのは誰?環境、他人、障害。そんな言い訳をしてみた。
言い訳をしてみたら、人生は楽になったか?そんな事はなかった。何一つ変えられなかったから。
環境---ここにいるから私は幸せになれない。
他人---自分を認めてくれない、虐げる人間がいるから、私は幸せになれない。
障害---普通の人間に生まれていなかったから、私は幸せになれない。
我ながらうんざりする。幸せになれない理由。
いつからか、幸せにはなれないことが決まっていたかのように。
生まれつき幸せはなかったように。
もう何もいらなかった。
望んでも崩れ去る希望。
立ち上がる意思を挫く魔物。
全てを失う絶望。
もしも生まれ変われるなら、幸せになりたい。
だけど、生まれ変わったところで、今のままでは幸せにはなれないだろう。
そもそも幸せなんて、与えられたものに対してついてくるものではない。
幸せを先に考えるから幸せになれない。そう思う。
幸せとは掴むものなんじゃないだろうか。
何も手に入らないなら望まない。そんな生き方から何が得られるのだろう。
全てを諦めた。なんて言っている人間が一番信用ならない。諦めきれてないから諦めた。なんて言葉を使うんだろう。
諦めたんじゃない。捨てただけだ。自分に言い訳して目を閉じただけだ。
何も見ないから傷付かない。
それは楽だろう。嫌なもの全部から目を反らせば。
楽をしたぶんだけ、代償は高くつく。
取り戻せない。そしてまた嘆くだろう。私には何もない。と。
馬鹿馬鹿しいし、呆れてしまう。
私を傷つけるのは、環境や他人や障害じゃない。
私を傷つけるのは私だ。
気づくしかない。自分の過ちに。自分の弱さに。自分の言い訳に。
これは誰の物語?
自分の物語だろう。自分で初めて、自分でつくってきた世界。
生きてきたのは自分自身。
どんなに嘆いたって、言い訳したって、人生は止まらない。命ある限り続いていく。
目を閉じても、物語は続く。立ち止まらない世界。
やれることをやらないと。
自分の可能性に賭けないと。
何も変わらない。変えられない。
目を開いて、進んでいこう。
これは自分の物語。
物語の主人公は自分なんだ。