今日は自分が障害者になってから出来た彼女と付き合ってから別れたことを書きます。
自分が障害者と知って、私はもう誰かと付き合うことは無いと思っていました。
障害を持っている人間を愛する人などいない。私はそう思っていた。
きっと好きな人に障害のことを打ち開ければ、どんな関係も壊れてしまう。それが恋人という関係なら尚更。そう思っていた。
だからもう誰かとはお付き合いできない。しないのではなく出来ない。私は恋愛を諦めまた。
そんな決意をしてから、幾日かの日々が過ぎ去っていった。
障害者。その選択は正しかったのだろうか。私は日々を追うごとに、障害者という自分がたった一人で生きていく道を見いだせずにいた。
孤独。孤独になれないとこの先は生きていけない。だって障害者なんだから。一人で生きていかなきゃ。
私は自分自身を追い込んでいった。友達関係も全てを我慢した。いつか来る孤独の日々になれるために。
そんな日々の中で私はある出会いをした。それが障害を持った異性との出会いだった。
障害者が健常者と恋愛することは出来ないと思っていた。しかし障害者と障害者の恋愛なら問題ないのかもしれない。そう考えた。
私はその障害を持つもの同士で仲良くなることにした。どうしても孤独に打ち勝てる気がしなかったからだ。
そうして、私はその障害を持つ異性と付き合うことになった。
これで孤独ではなくなる。何より障害をさらけ出しても、お付き合いをしてくれる彼女がいる。それだけで自尊心は満たされた。
障害を持っていてもお付き合いができる。それだけで始めた関係だったのかもしれない。
初めはその喜びだけで、その人を愛することができた。障害を持っていてもいいんだって思えた。
だけどその喜びはそう長く続かなかった。
私はその女性を愛せていたのでは無かった。
私は障害を持った自分に行為を寄せてくれる存在が欲しかっただけなのだ。
こんな自分でも良いと言ってくれる人もいる。という事実だけで満足していた。
そんな気持ちだったから、だんだんと気持ちは離れていった。
自分にはもしかしたら、もっと理想の人とだってお付き合いできるのではないか?障害を持っていたって、愛してくれる人は他にもいるのではないかと考えるようになった。
私は、たまたま一番最初に障害を理解してくれた女性に、自分を受け入れてくれた事に対して好意を寄せていただけだった。
だから、なぜその女性を好きになったのか、だんだんと分からなくなった。
あなたでなくてもいい。そう思うようになった。
自分の理想の相手と付き合うなら、どうすればいいか考えるようになった。
そして仕事だという答えに辿り着いた。仕事をちゃんとしていれば、私は自分の理想に近づける。
もう一つは、障害者手帳を返還すれば、私は健常者に戻れる。そうすれば普通の人を愛してもいいのではないかということ。
私は自分の障害を受け入れてもらう恋愛から、相手を守れる人としての恋愛に切り替えたくなった。
それからは、障害を受け入れてくれた彼女を大切にするより、障害者ではない生き方を進むことに力を入れ始めた。
そんな日々が続く中で、彼女は不安になっていった。
お互いに障害を持つ者だったので、彼女もまた障害特有の不安に陥りやすい。
人から嫌われることを恐れる苦しみ。それは彼女の障害ゆえの特性らしい。
私は彼女のことが嫌いではなかった。だけど自分が障害者としてではなく、健常者として普通に恋愛したいという思いを止めることはできなかった。
私は自分勝手なのだ。
愛してくれたのは、彼女もまた障害を持っていたから、私で妥協したからかもしれない。
妥協する恋愛。そこに真実の愛は無かったのかもしれない。
そうして私は、彼女と別れる決意をした。
自分が守りたいと思える人を愛したいと思った。自分を受け入れてもらうのではなく、自分が相手を受け入れる人になりたかった。
この決断に私は後悔するだろうか?分からない。分からないけど自分を信じてやりたかった。
真実の愛は障害とか健常者とか、そういう妥協点を探すものでは無いはずだと信じたかった。
私は寄り道して、自分の進みたい道を見つけ始めた気がした。