1年の振り返りとこれから。

久しぶりに更新します。

今回は日記みたいな事をつらつらと書いていこうと思っていますので暇があったらお付き合いしてくださいね。

久しぶりに何かを書こうと思ったのは、はっきりした理由があったからです。それは私が明日で誕生日を迎えるからです!もう28歳です。もう28かぁ…

それでこの1年、本当にいろいろな事があって。本当にいろんなことが変わって。何もかもが変化してしまって。もうこの1年が人生で1番変化の多い年だったんです。だからこそその振り返りをするためにも文章として残しておきたくて今回、3ヶ月ぶりくらいにまた書きたい気持ちを持つことができました。なかなか何かを書くのは大変で、気分が乗らない時にはなかなか書けなくて…。物書き?としては、書きたい気持ちがあって、何か書かなきゃって焦るんですけど、書く理由が無いとどうしてもまぁいっか。と言う気持ちになって書けないんですよね。だから、誕生日バンザイ!28歳になってよかった!って思うことにしよう。

変な前置きが長いですね。まぁ今回は読んでもらうことより書いてスッキリしたい気持ちが強いので勝手に書いていこうと思います。大まかに書きたいことは、発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されてから会社を休職すること。それから現在通っている、就労支援施設(障害者の就職をサポートしてくれる施設)に行くことになるまでのことと、通ってみてのことまでを、ダイジェストに書いていこうと思います。また休職で困ったこととか、就労支援学校に通うか迷っている人には細かい記事を書けたらいいなと思っているので気になったらまたコメントとか頂けたら記事にしますね!ではこの1年を振り返っていきます。

 

2019/9〜2020/2

私が発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されたのは2019年9月くらいのことです。その時は発達障害と診断されて自分は障害者だったんだと落ち込んでいました。

勤めていた会社で、私は仕事のミスが多くて、仕事の覚えが誰よりも悪くて、会社の人達と話すことが苦手でした。会社には自分の味方はいない。そう思い込み塞ぎ込んでは、もしかしたら自分は人と比べて何かおかしいところがあるんじゃないかと考え悩む日々でした。

そんな悩む日々の中で私の目に止まったのが、仕事が上手くいかないのは、大人の発達障害が原因かも知れないという記事だったんです。もしかしたら私は発達障害なのか?そう思い病院を受診し診察してもらった結果、確かに発達障害だったのでした。

発達障害と診断される前は、もしこんなに自分は発達障害の症状にピッタリ当てはまっているのに、発達障害じゃなかったらどうしよう…。と思っていたのに、いざあなたは発達障害ですよ!と診断されると安心より先に親や当時付き合っていた彼女に申し訳なさを感じましたね。

なんだか自分は…いや自分が健常者として育っててもらったり好きになってもらったりしていたのに、蓋を開ければ実はこの人(私)は障害者でした。そんな自分が許せなかった。というか受け入れられなかった。というか。

発達障害。障害者。私は障害を持っている。そんな劣等感。

当時は誰にも打ち明けられなかった。特に親に打ち明けるのは躊躇したっけな。親に障害の事を打ち明けたのは、発達障害と診断されて3ヶ月ほど経ってから、ある人に障害のことは、親に言っておいたほうがいいと助言を貰ったからでした。

親に打ち明けるのは勇気がいるけれど、結局発達障害を受け入れて就職の時に障害者雇用を考えているならば、障害者手帳の発行や、それこそ就労支援学校(障害者の為の施設)に通うことを考えているなら、遅かれ早かれバレるのだから打ち明けるしかない。もし発達障害だけど、就職も一般就職だし手帳を発行してもらうつもりはない!って人なら言わなければ、親にも友達にも恋人にも、バレないかもしれないけれどね。何かしら援助や社会制度を障害者として使うつもりなら、迷っていても仕方がない。いつかは打ち明けることになるから、気持ちの整理がある程度出来たら伝えることを、おすすめする。いつかはいつか来るのだから。

 

2020/3〜2020/5

この頃から…いやもうすでに限界に近かったけれど、仕事が憂鬱で憂鬱で仕方なかった。病院の先生には、どうしても仕事が辛いなら休職することもできると言われていた。

しかし私には休職に踏み切る決意が固められずにいた。当時の私には20歳から同棲している彼女がいました。その彼女は今でこそ断言出来るが、完全な紐女という類だった。家賃から食費、挙げ句はお小遣いも全て私が出してあげていた。財布は男が持つのは当然じゃないか?そんなふうに思っていたからだ。今は彼氏と彼女、2人で働いて生活するのが当然と考える人も増えているみたいだね。だから男が全ての金を稼ぐ。そんなふうに考えなくても良かったのかもしれない。私は今でこそ思うが、同棲でも結婚でも男か女。どちらかが辛いときに金銭面と精神面。両方をなんとかしてあげようと支え合える関係がなければ、いつかはどんなに長続きしている関係でも崩れてしまうんだと身を持って痛感することができた。もし、あの時に仕事が辛くて、その辛い理由が発達障害のせいだと分かっていて、だけどお金の為に仕事を休むこともできないと考えていた私の重荷を、彼女が少しでも担いでくれていたら。これは少しでも働いてくれていたらという意味なのだけれど。まだ一緒にいる未来もあったのかもしれなかった。私が発達障害と打ち明けた彼女は、私が障害者でも一緒にいてほしい。と答えてくれたけれど、頑張れば働けるでしょ?今まで(同棲してからの7年間)は普通に働けていたんだから。と仕事の面では協力的では無かったことが別れの決断になりました。だから金銭面と精神面の2つ支え合いが男と女の関係の維持には必要なんだろうなと思いました。

私は病院から休職の診断書を書いてもらっては、会社に出せずにを繰り返していました。だけど、ゴールデンウィークが始まる時期に会社に提出を決意しました。彼女には悪かったけれど、申し訳なかったけど、もう限界だったから。仕事が。生活が。支えるだけの日々が。

こうして会社を休職することになり、金銭的に厳しいからと私は実家に帰ることを決意した。彼女は相当ごねていましたね。多分彼女は実家に帰りたくなかったのだと思います。実家に帰る寸前まで新しい彼氏をつくり、遊び歩いていたね。遊べるなら仕事も少しだけ考えてくれたら嬉しかったな…。これはどうでもいい事ですが、彼女はなかなか可愛かったから、多分私がぞっこん過ぎて彼女のために何でもしてあげようと頑張ることができていた。だから今まで仕事が辛くても7年間頑張って仕事しながらお金稼いで同棲生活できていたんだろうな。うん。よかった。守るものがあれば人間限界は伸ばせるんだな。次は健全者として生まれ変わったら同じ失敗を繰り返さないように、一緒にいれるかな。

 

2020/6〜2020/8

7年間共に過ごした彼女ととの同棲を終了させ休職1ヶ月経つ頃に実家へ帰る。当然のことながら親からは、罵声と避難を浴びる。なぜ会社を休職した。これからどうするのだ。なぜなぜなぜ。糾弾されて私は気持ちが落ち込む。

同棲中にあった家具はほぼ全て彼女に渡したので、私が実家へ帰ったときに持って帰った物は、デスクと椅子と服と書類や本。そしてたった1つ心の支えとなった猫だった。

猫がいれば心に平穏があった。私の彼女は今日からこの猫ちゃんだ。そんな心の癒やしも家族はなかなか厳しかった。私の実家は持ち家なので、綺麗に綺麗に家を汚さないようにしていた。そんな家に猫だ。猫は壁を研いだり、匂いが付いたりして、大変家族からの評判が悪かった。

実家に帰ってそうそう、私は猫から家を守るために、壁に引っ掻き防止シートを購入したり消臭剤を買ったり、挙げ句引っ掻いても構わないカーテンを購入したりと、彼女(猫)のために散財するハメになった。もちろん、家に居候料も払うことになる。やはり実家暮らしは窮屈に感じる。住む住所が変わると、障害者手帳の再発行や、住所変更などやることが沢山あり、あまり休職中という感じではいられなかった。

不幸中の幸いは、休職中には傷病手当金という給付金が1年半の間は貰えるので実家に居ればお金はなんとかなりそうだということだった。

そして久しぶりに実家に帰り、独り身になったので、とにかく一人を極めることにした。この時に始めたのがプログラミングの勉強だった。理由は単純だ。発達障害者に向いているということだったから。ただそれだけなのだ。

発達障害者は1つのことに集中すると、素晴らしいほど集中力を発揮し、それが強みになるという。だからそれだけが理由だ。

2カ月ほど3~5時間ほど勉強してみた。ネットカフェを使ったりカフェを使ったりして、とにかく勉強してみたが、結局辞めてしまった。理由はなんとなく分かる。面白くなくなったからである。最初は知らないことを勉強して、理解できたらとても嬉しかったが、勉強が進むと応用力を求められて理解がチンプンカンプンになり諦めたのだ。だから発達障害はプログラミングに向いている!とか、ウェブデザイナーに向いているとか、よく目にするが真に受け過ぎないようにしたほうがいい。自分に何ができるか。それを考える方がよっぽど有意義だと思う。

私はプログラミングの勉強に挫折したが、プログラミングの勉強と同時並行でブログを始めていた。発達障害になってから会社を休職し退職するまでに思ったことや、やってきた事を、とにかく文字に書き綴るというだけなんだけれど。文章を書くことが好きだったから、このブログは1人を極めていた期間は、ほとんど毎日続けられた。ただブログというのも毎日続けるだけだと、なかなかしんどいことだ。目標を持たずに何かを続けることは、大体失敗すると私は思うのだ。だからブログを続ける理由に目標をつけた。発達障害の当事者なりの苦労を毎日書き続けて、それを本にしようという目標を設定したのだ。それがあったからブログを続けることが出来た。目標設定の大切さをこの時は、身を持って実感できた。

せっかくだから、その本を紹介しようと思う。本を出すのは子供の頃からの夢だったので、本を出せた時は、嬉し過ぎて感動した。

最初の本だから、文章は下手くそで読んでくれる人もいなかったが、やりたいことをやれた!という満足感だけで、私は書いてよかったと思えた。自分が本当に好きなことなら、目標があればなんとかなると私は思う。だから、発達障害だからこれが向いている。とか、適性検査でこれが向いている。とかは、気休め程度にしかならないのかもしれない。自分が子供の頃からの好きだったこと。今の趣味。それらが、今の自分の未来と目標の鍵を握っているんじゃないかと思う。

この3ヶ月間は1人でも生きていけるんじゃないかなと、思いながら過ごす日々だった。

 

2020/9〜2020/11

1人で生きていく。だって障害者だから。仕事だってどうなるか分からない。そう思いながら生活していた私は、本の製作という目標を達成して、プログラミングは挫折して、迷子になっていた。両親からは、いつ仕事を始めるのか?いつまでこんな生活を続けるのか?そんな言葉が強くなっていった。

何かを始めなきゃ駄目だ。私は焦ったが何をすれば良いか分からなかった。そんな時に、就労はオープン雇用(障害者雇用)を選択するか、クローズ(一般雇用)にするかを真剣に考え始めた。

オープン雇用は障害者の特性を理解してくれて、働く際にその特性に配慮して仕事をさせもらる。ただその代わりに、賃金は安い。そして自分を障害者と公表するのだから当然戸惑いも生まれるかもしれない。私はまだ自分が障害者と受け入れきれていないのだろう。だからそこに葛藤が生まれる。クローズ雇用で障害を公表しない働き方。それがうまく行くに越したことはないはずだ。選択肢とは時に自分を苦しめるんだなと思う。ただ選択肢があるんだから贅沢を言うなと、思う人もいるんだろうとも思うが。

就労の仕方を悩んでいる時に、私は就労支援施設の存在を知った。就労支援施設とは障害を持っている人の就職活動をサポートしてくれる施設だ。もし自分の障害に悩んで就職に迷っている時は、選択肢に就労支援施設へ通うことも選択肢に入れてみたらいいと思う。だけど就労支援施設に通うなら、出来ればオープン雇用とすでに自分が決めている場合がいいと思う。理由はクローズ雇用を目指す場合は、就労支援施設に在籍中は履歴書にその期間を書くことができないからだ。就労支援施設イコール障害者と言うことなので、書くことが出来ない。就労支援施設に通っている間は空白期間という扱いになるので、就活では不利になるだろう。

逆にオープン雇用と的を絞っているなら、就労支援施設へ在籍していれば有利に働く。就労支援施設に在学中のことを履歴書に書けるし、企業側も就労支援施設に通っている人かどうかを面接時に確認することがある。だからオープン雇用を目指すなら出来れば、就労支援施設に通うことをおすすめする。

私は両親からのプレッシャーもあり、何かを始めるために、就労支援施設へ進むことにした。就労支援施設に入校するためにも、手続きは沢山ある。それはまた別の機会に紹介しようと思います。

就労支援施設には、同じ境遇で悩みが近い人達が集まっていて通ってみると安心感を少し感じることができた。誰もが悩み、自分自身を見つめ直している雰囲気があり、自分だけが悩んでいる訳ではないんだなと思えた。もう1人で生きていこう。そんなふうな考えは少し変わっていった。

就労支援施設では、たぶん自分は障害者というレッテルと、仕事をしてない無職という劣等感が、みんな同じ境遇なので意識せずに済む。だから仲間意識が芽生えるのだろう。自分はまだやり直せる。そんなふうにも思えることができた。だけど、その安心感は施設内だけでの安心感であって、施設から出てみると、また空虚な思いに苛まれる。就労支援施設で人と話すと落ち着くが、その分もう1人は寂しいと言う気持ちにも再開した。1人が好きだと思っていた。いや思い込もうとしていた。だけど結局は、人が1人で見つけられる幸せと誰かと居ることで得られる幸せは、全く違うものだと思う。1人の幸せは、長続きしない。人と接して誰かに喜ばれる幸せには勝てない。1人の時間を過ごして思ったシンプルな答えがこれだった。人には居場所が必要だ。だけど何かに気づき、その気づいたものを手に入れると、人はどんどん強欲になることにも気づいた。あの人と仲良くしたい。あの人とも仲良くしたい。望んだものを得られると、人は万能感を感じてしまう。だけど結局は、障害者であり無職の自分が今の社会価値なんだと、ふと我に返る。

就労支援施設はいい意味でも、悪い意味でも、自分に刺激を与える場所となった。

 

2020/12〜現在

そして。いろいろあった1年を振り返りながら今に至る。今では、就労支援施設に来たことで、仲良くしてくれる人達もいる。それはとても大切なことで、ある意味もう人生に期待していなかった自分からすると、とても得難き成果だと思う。だけど、今のこの喜びは、たんなる現実逃避なだけかもしれない。施設から一歩外に出れば、劣等感。自分は結局1人。仕事だってどうなるか分からない。だけど。それでも。幸せになりたい。いろいろ失った。だけどそれは、勝手に手放したものばかり。健常者の資格。仕事。恋人。自由な生活。お金。自信。社会的地位。それらは自分の意思で手放した。だからいまさら嘆いても自業自得。因果応報。なるべくしてなった事態。誰にも言い訳できない、自分で選んだ道。28歳。人生の苦境。もう今まで通りには、取り戻せないかもしれない。だけど、最後には笑っていたい。私の人生はいろいろあったけど、幸せな人生だったと、笑っていたい。だから。だからこそ。ここから取り戻さないと。 

こうして振り返って、人生を見つめ直すことで、また物書きをする気になれたのは良かった。また何かを書く理由を与えてくれたのは、27歳の自分のお陰だったと思う。

28歳になった私の目標を考えてみた。

 

1.オープン雇用なら特例子会社。それが無理ならクローズ雇用で就職先を見つける。

 

2.発達障害や障害で困っている人、進む道に迷っている人達に役立つ本を1冊執筆すること。

 

3.短編集の小説を書いてみること。

 

4.大切にしたい何かを見つけること。

 

この4つを目標に設定していこうと思う。この先どんなことが起こるんだろう。28歳。しっかり人生を再構築したい。それと同時にブログを書く場所を変更しようと思っています。理由は独自ドメインを停止するので。このブログを読んでくれている人がいるか分からないけれど、URLを貼り付けておくので、興味があったら移転先を見に来てください。今後は発達障害者や障害者の方に役立つ情報や、自分が思ったこととかを発信できたらいいなと思っています。

https://tnk1221.hatenablog.com/

 

さぁここから頑張ろ。