自分基準は満たされない

僕が人と話すときに

一番意識してしまうのが、

この人は自分のことを好意的に

見てくれているかどうかだ。

 

僕は人と話しているとき、

この人は自分のことをどう思っているか、

その事ばかり考えている。

 

相手が好意を示すなら、

こちらも喜んで好意的に接しよう。

逆に自分の利己だけのためとか、

(押し売りとか)面倒臭さそうに話すなら、

こちらは、相手を信用せずに、

上部だけで接するようにしている。

 

相手の出方を見て、

仲良くなれるかなれないかを

探るのが僕のやり方だった。

 

だけど気づいた事がある。

相手から何かを求めるだけで、

自分からは相手に何もしていないことを。

他人の反応は、

自分の写し鏡だという言葉がある。

自分の持つ感情や反応は、

そのまま相手に写し出される。

自分が楽しそうにしていれば、

相手も楽しそうにしてくれる。

自分が落ち込んでいれば、

相手は心配したり

一緒に落ち込んだりしてくれる。

 

ならば、相手の反応を待つというのも、

自分に跳ね帰ってきているのでは

ないだろうか。

お互いに反応を探り会うから、

その場かぎりの関係になり、

それ以上仲良くならないまま

その人達とは終りになって

しまうのではないのだろうか。

 

相手に求めるばかりで

自分からは何も提供しないのは、

正直、傲慢で臆病者でしかないと思う。

 

自分が望むものがあるのなら、

先に自分が相手に渡さないといけない。

自分が望むものを相手に

先に差し出すことによって、

自分が望むものを

相手から受けとることができる。

 

なにもあげられないけど、

貰うものは貰うなんて、傲慢すぎる。

そんな考え方の人に、

誰が何かを与えてくれるだろうか。

 

人が自分に何も与えてくれない

(愛情、友情など)のではなく、

自分が人々に何も与えてこなかった結果が、

こんなはずじゃなかったと

考える現実なのだ。

 

欲しいなら先に提供する。

そうすれば写し鏡に映る他人から、

自分が渡したものが帰ってくる。

先に自分から動け。

そうしないと望む結果は手に入れられない。