歳をとると夢を見れなくなる

 

僕には、沢山のやりたいことがある。

 

WEBの勉強をして、

自分のホームページをつくりたい。

いろんな世界を自由気ままに旅したい。

自分の文章でお金を稼ぎたい。

お互いを支え会えるような、

パートナーがほしい。

いつか自分の本を出したい。

小説家になって、みんなから褒められたい。

海外に住みたい。

家族を安心させたい。

いろんな人達と仲良くなりたい。

いい車に乗ってみたい。

熱中できることを見つけたい。

いろんな講演会に行ってみたい。

自分らしく生きたい。

 

やりたい事をあげるときりがない。

欲望の塊のような人間だ。

 

そして、結局なにも達成できずに、

時間だけが過ぎていっている。

 

あれもこれもやりたい。

時間が足りない。

何からやったらいいんだ。

そんな考えが頭の中でぐるぐるしている。

 

そして結局は、

何も達成出来ずに終わっていく。

時間が過ぎていくのを見て焦るだけだ。

まだ何も出来てないじゃないかって。

 

よく人は、休職中の僕に、

なにかやりたいことはないの?

と聞いてくる。

 

そんな質問が飛んできたら、

決まって僕はこう答える。

やりたいことはいっぱいある。

 

だけど、人は言う。

まだ、やりたいことがあるの?と。

 

僕はおかしいのだろうか?

やりたいことって、

いっぱいあるものじゃないのかな?

 

あれもこれもしたい僕にとって、

その答えは、不思議で仕方なかった。

 

大抵の人は、歳を取るにつれて、

自分がやりたいことを忘れている。

いや、諦めているのかもしれない。

 

社会に出て働いているうちに、

やりたいことは、現実的なことだけで

収まっていくみたいだ。

 

やりたいことをやっても、

金にならないし、生きていけないから。

 

やりたいことがあるなら、まずは働いてい、

その空いた時間で出来ることだけやるのが、

当たり前のようだ。

 

だから、僕みたいに、夢を沢山語る人間は、

現実主義的な人にとっては、

見ていて腹立たしいみたいである。

 

いつまで夢を見ているんだ。

もっと現実を見ろ!

そう一蹴されて終わってしまう。

 

夢を見ることは、

そんなに悪いことなのだろうか?

 

僕にとって、

やりたいことを持つのは、

生きる糧にもなっているのに。

 

普通の人達は、

夢があっても人前では語らないらしい。

 

馬鹿にされるのが嫌だから。

そして、その夢が達成困難だと、

歳を取るにつれて気づくらしい。

 

いつしか、夢は見るものではない。

見るのは、現実だけにしろ。

そうなっていくみたいだ。

 

生きるので精一杯だから、

夢を見る暇もなくなってしまう。

僕も、働いている頃はそうだった。

 

仕事の事でずっと悩んでいたし、

給料を見ては、

今月はどう生きていこうかと、

考えることばかりだった。

 

夢を見る暇もなく、

夢が邪魔にも感じた。

 

だけど、

やっぱり生まれてきたからには、

知りたかった。

世界の姿や、

自分の物語が

人を感動させられるかどうかとか。

 

夢の為なら死んでも構わないとさえ思う。

どんな生き方でも、

自分の思いを裏切るのは嫌だった。

 

辛かった。

他の人は、夢を見ることを諦めて、

現実だけを

しっかり見ていることに気づいて。

 

夢を見ることは、逃げなんだと

考えるしかない日々に。

 

もうすぐ僕は三十路になる。

だけど、どれだけ歳をとっても、

夢見がちな現実逃避ヤローだと思う。

 

何がここまで僕を夢に期待させるのだろう。

どうして、夢を見てしまうんだろう。

 

僕にとって夢を持つことは、最後の希望。

この世界で生きる、

たった1つの理由だとも言えそうだ。

 

夢を叶えるまでは死にたくない。

死ぬわけにはいかない。

 

それに、なんでこんなにも、

夢のようなことにこだわってしまうのかも

分からない。

 

夢の為に生きているなら、

それも悪くないと僕は思う。