決断とは、片方を諦めること

 

 

僕が休職を続けていて思うことは、

大きく分けて2つある。

 

1つは、この平穏な時間が、

いつまでも続けばいいと考える気持ち。

 

もう1つは、早く社会復帰しないと、

いつまでもこんな生き方を続けるわけには、

いかないと考える焦りの気持ちだ。

 

不思議なことに、

いつまでもこうしていたいけど、

いつまでもこうしたくない。

そんな矛盾する感情の狭間に

僕は立っていた。

 

どちらを選ぶかは、

普通に考えれば楽なことだ。

 

働くという生き方を選ぶ。

働いてお金をもらわないと、

生きてはいけない。だから働く。

人間として生まれたなら、

それが普通の考え方だろう。

 

では、なぜ働かない今が好きだという、

気持ちがあるのだろう。

普通と違うからなのだろうか?

いや結局、好き勝手生きてみたいという

願望が僕をそうしているのだろう。

 

好きなことだけして、

他人からは指図されず、

自分のペースで生きていきたい。

そんな、マイペースな生き方をしたいから、

今が幸せに感じるのだろう。

 

そしてこう考える気持ちに、

葛藤が生まれるのは、

自分を客観的に見る、

もう一人の自分が、

それを阻止しようと、

しているからなのだろう。

 

そんな身勝手な生き方は、誰も認めない。

もう一人の自分が、

そう言い聞かせてくれる。

 

表面の自分は強がっていても、

内面の自分は現実を把握している。

だから、人はいつかは働き、

惨めでも自分が生きれる道に、

しがみついていくしかない。

 

遅いか早いかだけの違いなんだ。

なぜ働かないといけないのかという疑問の

答えにたどり着くのは。

 

働くことに、

大きな意味はないかもしれない。

生きるために人は働くのだから。

 

生きたくないなら働かなくてもいいだろう。

ただその働かなかった責任は後で自分で

償わなくてはならない。

 

生きるためには、

生きるための代償を支払なければならない。

その代償は、人の役に立つことで、

支払うことができる。

 

逆に人を困らせたり、

自分の労力に見合わない

生き方をしていると、

後で支払う代償は高くつく。

 

もし自分の生き方が、

内面の自分から避難されるような

生き方なら、

早く方向転換しなければいけない。

 

早く方向転換すれば、

早く正常に戻れるが、

間違ったまま進み続ければ

それだけ後で戻るのに苦労する。

 

僕にとって正しい道とは、

苦しみながらも働くことなんだろうな。

 

いま、この現状に焦りがある。

それは内面の自分が、

動き出せと呟いているからだ。

 

きっとここで自分の声に

耳を貸していかなければ、

代償は高くつくことだろう。

 

自分のために、

自分の声を聞く。

 

それが、最後の希望なのかもしれない。