人が自由を感じる時は、
どんなときなんだろう。
好きなものを自分の意志で、
選べることだろうか。
自由になりたいと願う人は、
何故自由ではないのだろうか。
誰かに自分の意志を奪われているから?
どんなに望んだって、
何も手に入らないなら、
それは不自由だと言えるのだろうか。
手に入れる事だけが、結果なら、
自由とは、
何かを手に入れる事なのだろうか。
どんなに望んだって手に入らないなら、
それを諦めることは、
自由を奪われたってことなんだろうか。
きっと、それを諦めたのも、自分の選択。
いつだって自由は僕らの選択の中にある。
自由じゃないと考える。
そう考えることも自由。
どんなに足搔いたって、
苦しんだって、
それは自由なんだ。
願うことが意志の始まり。
自分の意思を持つことは、自由の始まり。
自由とは不自由。
不自由こそが自由。
誰かの声を聴くのも自由だし、
無視するのも自由なんだ。
どんなに逃げても隠れても、
そこから引きずり出される。
自由は責任を取らない。
責任は自分の意志にかかっている。
だから、逃げても隠れてもいい。
そうして僕らは強くなる。
誰もいない道の途中で、
恐ろしさを覚えた日。
その恐ろしいと思った道の途中で、
出会えた感情だけは忘れないで。
その感情こそ、自由を感じる一歩だから。
誰かに負けそうになっても、
自分を押し殺さないで。
最後まで一緒にいるのは自分の心だから。
心は自由で、その心を守るのが自分自身。
自由を守るために、
自分の感じ方を変えていく。
そうして人は強くなっていく。
自由を求める必要はない。
僕らは最初から自由だ。
勝手に不自由だと思い込んでいるだけだ。
自由は辛くて苦しい。
だけどそれらを受け入れていくことで、
命は輝く。
もう、何も恐れなくていい。
ただ生きて進んでいこう。
僕らは最初から自由だ。