僕はずっと、
自分が何者なのか分からなかった。
一体僕は、何のために生まれ、
何をするべきなのか。
いままでずっと、分からなかった。
一体僕はなんで生まれたのだろう。
人は生まれて死ぬまでの間に、
1人1人なにか使命を持って、
生まれてくると聞く。
そして、その使命が終わるまでは、
死ぬことは出来ないらしい。
いま生きている僕たちは、
まだ自分の使命を果たせていないから、
生きているともいえる。
天災や自殺なんであれ、
死んでいった人たちは、
使命を果たした人たちだと僕は思っている。
よく死にかけて死ななかった人、
自殺しようとしても死ねなかった人が後々、
自分のことを振り返り、
あの時、私は「生かされてしまった」
という表現をする。
僕もその人たちは、
自分の運命に、
生かされてしまったのだと思う。
どんな死に方であれ、
この世を去った人は、
何かしらの使命をちゃんと全うしたのだ。
どんな人物であれ、
その人が人々に残したもの。
怒りや、悲しみ、幸福感。
それを人々に残すことが、
使命だったんだと僕は思うんだ。
人間にとって、
死とは逃れられないものであり、
一番の恐怖である。
自分の周囲の人の死は、
僕らに何を残してくれただろうか。
尊さや、思い出。
いろいろな感情が巡ってくると思う。
その人が自分にとって、
大切なら大切な分だけ、
心の穴は大きいと思う。
僕も高校の頃に親しかった、
同級生が自殺してしまった過去がある。
その友人はある精神障害でにかかっていて、
それに耐え切れなっかたのだった。
僕は、そんな状態に、
友人がなっていたなんて分からなかった。
もし分かっていたら、
その友人を救うことが出来たのだろうかと、
考えることもある。
だけど、救えるか救えないか。
それを考えても、
後の祭りなのだと時間が経って気づいた。
その友人から、死ぬということは、
多くの人々に悲しみと、
申し訳ない気持ちを、
与えてしまう事なんだと教えてもらった。
僕も死んでしまった方が、
楽かもしれない。
そう考えてしまうことがある。
だけどその友人の家族をみると、
いたたまれない気持ちがこみ上げてくる。
死とはこれほど多くの人の心に、
深い傷を負わせてしまうのだと分かった。
だから死んだら楽になれるなんて、
おこがましい考えだと改めて気づかされた。
自分が死んだ後のことなど、
自分が辛い時に考えたことがなかった。
だけどそれに気づかされた。
僕らは生きている。
いや生かされている。
きっと自分の使命がある限りは死なない。
どうして生きているのか。
それは死ぬまで分からないかもしれない。
だけど生きているなら、
その使命の最後を見届けたい。
死ねないから生きる。
それも結構だと僕は本当に思う。
どんなに苦しくても、絶望の中にいても、
死ねないのは死ねない理由があるんだ。
だから生きているなら、
生かされたまま進むしかない。
神は乗り越えられる試練しか、
その人に与えないという。
僕の生きづらさも、
乗り越えられる壁なんだと信じている。
何をすればいいのかも分からなくて、
人生に絶望を覚える事も何度もある。
だけど生きているなら、
まだ使命が残っているということだ。
自分の人生をちゃんと、
見届ける義務が僕らにはあるんだ。
だから、、、
僕は何者にもなれなくていい。
生きていればいい。
何者になれなくても、
笑って過ごせればそれでいい。
悲しくても、怖くても、
絶望したって、悲しい顔をしない。
感情に落ちつぶされないように、
自分に笑っていこうと呟いている。
笑っていれば、心が段々晴れていく。
笑顔は人々を笑顔にする。
どん底だと感じた時ほど笑うべきなんだ。
笑えば気持ちは落ち着いていく。
落ち込んでいる自分に言い聞かせよう。
さあ笑っていこう。