安易な道へ逃げたくなることは苦しみから逃れたいからなのか

 

生きていると途方もない選択肢が、

僕らのもとにはある。

 

どの選択肢を選べば、僕らはいいのだろう。

一体どの道が正解に繋がっているのだろう。

 

自分の道を選択する自由があるのに、

こんなにも臆病になってしまうのは、

失敗したくないという思いに、

苛まれているからだろう。

 

失敗したくない。

だけど自分で選ぶのは怖い。

自分で選んで失敗すると、
他人から笑われてしまうのでは

ないかと感じる。

 

そして、

自分の選択はまた間違ってしまったのだと、

自分自身を責めてしまう。

 

自分の失敗のツケを、

自分で清算していくのが怖くて怖くて、

たまらないのである。

 

だから、

自分の人生に責任を持てない人は、

他人が示してくれる道に、

容易についていってしまう。

 

君にはこれがいいだろう。

君にはそれは無理だ。

 

そういわれて、それでも、

いや、僕はこっちに進む。

そう言い切れる人は、

一体どのくらいいるのだろう。

 

僕にもそんな勇気が欲しかった。

誰かが、

ああしろ!

こうしろ!

と言うから無理やり示された道ではなく、

こうしたい。と選べる勇気が。

 

いつも人に流されていた。

こっちがいいんじゃない。

そう言われたら、

嫌々ながらもそちらを選んでしまう。

嫌われたくなかったから。

 

そうだ、僕は嫌われたくなかった。

人に合わせるってそういうことだろう?

 

人が進めるなら、

そっちの方が正しく普通なのだろう。

そう思っていた。

 

自分で選んで後悔したくなかった。

誰かが選んでくれるなら、

失敗しても自分のせいだけじゃない。

それに、

自分で選ばなくてもいいのは楽だった。

 

なるべく簡単な道。

なるべく苦労しない道。

そんな道を探していた。

 

そんな他人が選んでくれた、

道に自分の命を感じることはなかった。

ただ何となく生きている。

そんな気分だった。

 

なにも考えない。

だから失敗しても辛くない。

そんな安易な道を進む。

 

それこそ辛く苦しく、むなしい道だ。

自分の感情が無いのだから。

 

ただ生かされているだけなのだから。

何も感じない。

 

後悔したって、辛くたって、

自分で選ばないといけない。

失敗したくないなんて贅沢な悩みだ。

失敗したくても、

その挑戦心さえ

忘れてしまった人々は沢山いる。

 

挑戦するより、いまを我慢している人

はたくさんいるだろう。

 

楽な道にはきっと

楽な感情しか湧いてこない。

 

安易に人に道をゆだねてはいけない。

ついていってはいけない。

 

誰の人生だ?

自分だろう。

 

自分の人生の責任は誰も取ってくれない。

自分が自分の人生の責任者だ。

 

さぁどっちを選ぼうか。

他人のおすすめの道。

誰も勧めないけど、

 

自分が見つけた誰も知らない道。